2011年8月31日水曜日

動画(2)――国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8.15反「靖国」行動

右翼の暴力とそれを野放しにする警察

デモグッズを強奪する右翼とその暴力行為を野放しにする警察

動画(1)――国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8.15反「靖国」行動

8.15反「靖国」行動に右翼がナイフ、証拠隠滅する警察?



襲撃してきた右翼が落としたと思われる刃物を公安刑事が拾いあげ自分のカバンに収め証拠隠滅?
この公安刑事は「黙ってデモをしろ」と恫喝をかけてくる。

2011年8月28日日曜日

8.15反『靖国』行動に向けられた弾圧を許すな! 右翼による私たちへの 攻撃、暴行や傷害を糾弾する!

私たち「国家による『慰霊・追悼』を許すな!8.15反『靖国』行動」は、今年も、天皇制に反対し、靖国神社に代表されるような国家による死者の「慰霊・追悼」を批判する行動を行なうことができました。
 しかし、本年の行動は、これまでよりもさらに激しい弾圧や攻撃にさらされるものでもありました。そのことの内実を広く明らかにするとともに、こうした事態をつくりだした権力機関や団体・個人を厳しく糾弾せねばなりません。
 天皇制を批判したり、その戦争責任や侵略責任を問う行動は、これまでも公安警察や機動隊による過剰規制に加え、右翼勢力の攻撃にさらされてきました。最近は、こうした右翼勢力に、もっぱらインターネットで流布される虚言によって妄動する「ネット右翼」、そして彼らを現実の場に動員している「行動する保守」を名乗る右翼グループが加わり、私たちや友人たちの行動への妨害や嫌がらせはさらに醜悪なものとなっています。
 今回のデモのさなかに、私たちの行動に対し、襲撃する側が持ち込み、押さえられたとき落としたと思われるナイフが見つかっています。
 私たちは、これまで20数年の長きにわたり、8.15の行動を持続してきました。
 右翼たちの私たちに向けた「殺せ」「殺す」という脅迫的煽動は、「街宣右翼」や「行動する保守」「ネット右翼」たちが相互に顕示を競う中でエスカレートしてきました。しかし、今回ナイフが持ち込まれたことは、デモの参加者に対する、具体的な殺人/傷害が狙われていたと考えるしかありません。これは、右翼たちの行動の最悪の方向への転換の画期を示すものです。
 これに対する、警備・公安警察が実施した「警備」の体制はひどいも
のでした。それは、私たちの行動を抑え込むばかりか、「街宣右翼」「行動する保守」や「ネット右翼」たちにやりたい放題を許すものでもあり、私たちの行動に参加した人々の身体を、彼らの暴力行使による直接的な危険にさらさせるものでした。
 以下に、その具体的な実態を示します。

★右翼団体構成員による暴力
警察は、デモコース最初の、上下4車線の白山通りを封鎖し、驚いたことに上下線の歩道寄りの車線にずらりと右翼の街宣車を配置させました。特に危険だったのは、居並ぶ右翼の街宣車の間から、ひっきりなしに右翼団体構成員が私たちを襲撃してきたことでした。
 この激しいもみ合いの直後に、白山通りから靖国通りに向かう半ばで、デモ隊の歩いている路上にナイフが落ちていたことが、多くの参加者によって確認されています。これは、襲撃者が割って入った機動隊員に取り押さえられた際に、落としたものとしか考えられません。
 脇を歩いていた私服の公安警察官は、この「証拠物」を、何食わぬ顔で拾い上げ自分のバッグに収めてしまいました。このとき襲撃犯が逮捕されたのかどうかすら、現段階では不明のままです(この一部始終は、私たちにより現認され撮影されています)。
 警察は、この事件をなかったことのようにしたいのでしょうか。目前で不法な暴力行為が展開されている以上、警察は、この右翼によるテロ未遂事件の事態の一部始終を厳しく捜査し、襲撃犯の背景、その後の対応について明らかにする義務を有しています。
 右翼は、中身の入ったジュースなどの缶を私たちめがけて投擲してき
ました。これにより身体に打撲傷を受けた参加者も何人もいました。これが顔や頭部などにぶつけられた場合は、その被害は深刻です。これについても、警察は積極的に捜査を行う義務があります。
 右翼による襲撃により、宣伝カーは蹴られ、叩かれ、横断幕・バナーやパペットなどはデモ行進の開始直後から終了するまで攻撃を受け続け、強奪などもされました。右翼構成員は、大量な機動隊や公安警察官にほとんど規制もされずデモに併進し、暴行や罵声を浴びせ続けたのです。

★「右翼」に対する警察の優遇措置
 警察は、在特会に代表される「行動する保守」や「ネット右翼」のデモに対する妨害のための、彼らとの「ボス交渉」に積極的に応じ、わざわざ公道である歩道や車道の一部を空けて彼ら専用の区域を提供しました。彼らはこうしてしつらえられた安全な空間から、差別と排外主義にまみれた醜いヘイトスピーチを繰り広げたのです。彼らによるヘイトスピーチは、直接的な暴力をほしいままにする右翼団体と、まさに対をなし、暴力を助長するものです。
 右翼によるこうしたヘイトの行動は、多くの国や団体・個人から、国際的にも強く批判を受けているものです。民主主義を標榜する日本のような国家において、警察がむしろこれを助長するような体制を取ることは許されるべきではありません。

★警察によるデモへの弾圧態勢
 私たちのデモは、左右を街宣車と警察車両によって狭められた車線を、さらに戦闘服の右翼団体構成員と装備した機動隊の列にサンドイッチ規制される形で進ませられました。これは、私たちのアピールが右翼街宣車による圧倒的な騒音によりかき消されることを目的とするものでした。
 私たちのデモ行進が、機動隊によって強く規制される一方で、歩道や車道を並行して歩く私服の公安警察官や制服警官は、右翼団体構成員が私たちに暴行を働くのを積極的に制止しませんでした。警察は右翼に自由に行動させたため、その突進に翻弄され、ぶざまに混乱した警備体制を糊塗するため、むしろ機動隊は私たちの行動への規制を強めたのでした。その経過で、右翼や機動隊員に突き飛ばされ、転倒させられた人も多くいました。
 そして、そのような中でも、大量に動員された公安警察官は、ただただ私たちへのビデオや写真撮影などに励んでいたのです。

 私たちは、こうした日本社会における現実を、日本社会、さらに国際的にも広く知らしめることを希望します。民主主義を標榜し、日本国憲法において思想や表現の自由が保障されているにもかかわらず、現実の社会において、実質的にこれを行使することが不可能ないし困難な状況にあることに注目されねばなりません。
 また、インターネットなどにおいては、天皇制や靖国神社などへの批判、外国人やマイノリティの権利の主張を行なう意思表明すら、右翼勢力の執拗な攻撃にさらされ、発言を封じられることもたびたび起きています。
 こうした、直接的・間接的な暴力を含む攻撃が、どのような政治的・社会的立場やイシューに向けられているかは明らかです。右翼組織や「行動する保守」「ネット右翼」などのそれぞれの背景は、政治団体や暴力団、宗教団体、その他の挑発者グループ、なによりこの社会を覆っている差別・排外主義的な政治環境などさまざまですが、この間、彼らにとっての共通の「敵」をしつらえ、実質的に合流した行動をとることが繰り返されています。
 こうした状況は、社会や経済の破綻から「失われた20年」と呼ばれる最近になって、ますます明白に露呈していることです。排外主義は、人間が使い捨てにされ、生をめぐる競争に駆り立てられ、社会的に分断されるところに浸透しています。これは、社会全体が徐々に威圧的となり、軍事的色彩を強めている歴史的時間の中で、いままさに進行している事態です。
 私たちは、今回のような警察・右翼一体となった攻撃を強く糾弾します。すべての皆さんがこうした事実を認識し、右翼の暴力や、それを理由とした警察権力の不当な規制をゆるさない声を、それぞれの場で上げていただきたいと思います。

2011年8月26日
国家による「慰霊・追悼」を許すな!8.15反「靖国」行動





左上から:右翼が襲撃時に落としたナイフを私服公安警察が何食わぬ顔で拾い上げ自分のバッグに収める。左下写真、公安警察の左腕に警視庁の腕章が確認できる。

右:デモへの襲撃を繰り返す右翼。

 画像(1)――8・15反「靖国」行動 




左上から:右翼が襲撃時に落としたナイフを私服公安警察が何食わぬ顔で拾い上げ自分のバッグに収める。左下写真、公安警察の左腕に警視庁の腕章が確認できる。

右:デモへの襲撃を繰り返す右翼。

2011年8月17日水曜日

8・15反「靖国」行動  集会宣言文


2011 国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8・15反「靖国」行動 集会宣言文


 今年(2011年)の3月11日におきた地震・大津波、そして終りなき原発事故は、日本列島に住む多くの人びとに、社会・国家の決定的な転換が促されているという実感を、持たせているだろう。これが、戦後象徴天皇制国家が推進した経済成長至上主義の悲惨な帰結であることは、あまりにも明らかである。東北を中心とする、破壊された多くの人びとの生活の再建を願わない人間はあるまい。しかし、その復興が、震災前そのままの成長至上主義への回帰であってよいわけはない。

 しかし、天皇アキヒト一族がくりひろげた被災者(地)への「慰問」と「鎮魂」のパフォーマンスは、支配者たちの、単純な「回帰」のための政治であった。なぜならそれは、原発推進(経済成長)主義路線の責任を不問にするための「慰問」と「鎮魂」であったからである。

 私たちの8.15行動は、今日の「原発大国」日本をつくりだした政治家・中曽根康弘が、原発マネーをテコに首相に登りつめ、靖国神社の公式参拝をした1985年にスタートしたという事実を、まず想起しよう。実行委員会は、その参拝に強く抗議するために作り出された。私たちは、このときの運動について、当時、以下のように整理している。

 「中曽根行革は『軍事費GNP比1%枠』の突破、行革、臨教審、靖国神社への参拝強行、東京サミット開催など、いわゆる『戦後政治の総決算』路線を推し進めています。戦後アリバイ的に掲げられてきた『平和主義』の看板さえひきおろして、戦争のできる国家へと国是を転換させようとする攻撃です。中曽根は7月27日の自民党軽井沢セミナーにおいて、『国家が戦没者を慰霊しなければ誰が国のために喜んで命を捧げるか』と発言しました。靖国神社呼応し気参拝は、現在の国家の名において過去の侵略戦争を『聖戦』と美化し、侵略の尖兵として死んだ『天皇の兵士』を英霊と讃えるものであると同時に、再び民衆を侵略戦争に動員し、喜んで国―天皇のために命を捧げようとするイデオロギー攻撃にほかなりません。/中国をはじめとするアジアの民衆は、中曽根がA級戦犯のまつられている靖国神社を公式参拝したことに抗議して、厳しい批判を加える大衆行動に決起しました。我々もまた、さらに声を大にして、天皇の権威を前面に押し出した侵略賛美・国家総動員のイデオロギー攻撃と対決してゆかなくてはなりません」('86「天皇在位60年式典」粉砕実行委に向けた呼びかけ文より)。

 ヒロヒト天皇の時代からの私たちのこの反「靖国」のスタンスは、政府主催(天皇参加)の「戦没者追悼式」へその批判を拡大し、アキヒト天皇の代になり、日本が派兵国家化してしまう時間の中においても、不変であった。

 〈3.11〉の激動は、私たちのこのスタンスに、変更を迫るものであったか。否、まったく否である。。
 私たちは、このスタンスに、さらにかつてはそれほど自覚的ではなかったスタンスを重ねることを、今日、個々で確認したい。それは、「天空にかがやく太陽」と天皇を讃えた中曽根政治が、戦後の原発(核の平和利用)大国日本をつくりだしてしまったことの責任、この戦後に新たに生まれた〈責任〉を、国・政府・天皇に問い続けるというスタンスである。

 私たちは、天皇制(国家)の植民地支配・侵略戦争の責任を問い続け、さらに現在の派兵・軍事国家化、象徴天皇制(国家)の原発大国化推進の〈戦後責任〉を問い続ける。私たちはこうした運動を通じて、現在の「反原発」の動きに合流していくことを、ここに宣言する。

2011年8月15日