2011年7月27日水曜日

国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8・15反「靖国」行動

        ★2011年8月15日

国家による「慰霊・追悼」を許すな!8・15反「靖国」行動

天皇アキヒトは、東日本大震災にあたってマスメディアを通して「ビデオメッセージ」を流し、関東の避難所を皮切りに、東北三県の被災地 をまわって、被災者の「慰問」と死者の「鎮魂」をおこなってみせた。

その姿に「感激」する地元の人たちの映像も繰り返し流された。


天皇の行為は、それが天皇の行為である限り、批判や疑問の声など始めから存在しないかのように扱われる。ただただ、ありがたく気高い「無私」の行為とし て賛美されるだけだ。しかし、天皇のこうした行為は、現実の政治のひどさを隠蔽し、抽象的で漠とした「日本」なるものの共同性に、被災者をふたたび包摂・ 回収していく行為にしかなりえない。そのことによって、人びとの具体的な悲しみや怒りは心の深い部分に押し込められ、大文字の「日本」は無傷のままで回復 されるのだ。そしてそれは、歴史上そうであったように、「復興」の掛け声のもとで現実に進行する、被災者の切り捨て=「棄民」という現実を、覆い隠す役割 をはたすだろう。


この意味で、8月15日を中心として行われる天皇の「慰霊・追悼」と今回の一連の天皇の行為はつながっているといわねばならない。


「全国戦没者追悼式」において発せられる天皇の「おことば」は、一貫して「かつての戦争」の死者に思いを馳せ、彼らの「尊い犠牲」によって、現在の日本 の「繁栄」が築かれたのだというロジックで貫かれている。3.11以後、原発事故はいまだに進行中であり、それを収束させるためだけでも、さらに多くの人 びとの生命を、危険に晒さざる を得ない。そもそも原発自体が「犠牲」を要求せざるを得ないシステムなのだ。こうした、新たに生み出される「尊い犠牲者」をも、震災後の「復興」のための 礎として、天皇は顕彰することになるのだろうか?


われわれは、3・11以後の現実において、あらためて登場している天皇制を撃ち、国家による、あらゆる死に対する意味づけを核とした、8.15の「追悼 空間」=全国戦没者追悼式と靖国思想──新しい国立の無宗教の追悼施設、あるいは千鳥ケ淵拡充という方向性も含めて──の解体に向けた行動に、今年も取り 組んでいきたい。多くの方々の参加を強く訴える。



★日時:8月15日(月)開場:12時45分午後1時開始
デモ出発:3時30分(予定)

★場所:在日本韓国YMCA9階ホール(JR水道橋駅下車)


★お話:加納実紀代さん「原爆・原発・天皇制」 


主催★国家による「慰霊・追悼」を許すな!8・15反「靖国」行動

呼びかけ団体★アジア連帯講座、国連・憲法問題研究会、立川自衛隊監視テント村、反天皇制運動連絡会、「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会、靖国・天皇制問題情報センター、連帯社、労働運動活動者評議会

2011年7月17日日曜日

★7月30日(土)  8・15反「靖国」行動プレ・討論集会


それぞれの8・15行動 これまでとこれから



8・15がやってくる。例年そうであるように、あたりまえのようにやってくる。首相の靖国参拝や右翼の大暴れ。そのことで強化される警察の弾圧。げんなりするような新たな課題を抱えて8・15は毎年やってきた。今年も、3・11以降の東北の人びとの苦難と、この事態に無策と無責任を露呈する政府・東電・マスコミに歯ぎしりする状況のなかで、当たり前のように8・15はやってくるのだ。こんな事態にあって、国家は一体何を考えているのだ!?
一方で、そのように繰り返しやってくる8・15に対して、問題であると声をあげる少なくない人たちが存在し続けている。「玉音放送」なる、天皇(当時)ヒロヒトの「終戦」メッセージをラジオ放送した日を「終戦記念日」とするこの社会の歴史認識を、この日に 多くの「日本人」が繰り出す靖国神社の問題を、天皇参列と「お言葉」を欠かさない国家をあげた「全国戦没者追悼式」の問題を、直感的におかしいと感じとる人びと、長年の行動をとおいて確信を持ち、そのおかしさを伝えようとする人びと。これらたくさんの人びとがつくり出してきた8・15行動の歴史があるのだ。
私たちは今年、そんな人びとのほんの一部であるが、毎年アピールの交換をしたり、なんらかの共闘を模索したり、デモですれ違ってエールを交換した人たちと、それぞれの8・15への問題意識や行動の目的、作り方への模索など、交流できるような討論集会を持ちたいと呼びかけあった。それぞれがあたりまえに行動の歴史をもっているにもかかわらず、8・15という限定された日程のために、交流そのものがなかなか実現してこなかったのは無理もない。だがそれはもったいないことである。
この困難な時代に、それでも8・15を課題として何らかの行動を考える多くの仲間が寄り合い、問題の所在や行動の今後について意見交換をし、またそれぞれのこれからの8・15行動にフィードバックしていく。そんな集まりを参加者ともども作りだすことは、きっと私たちの力につながる。討論への参加とともに、情報や問題意識を共有するための交流の場としてもたくさんの方の参加を呼びかけたい。8・15を迎え撃つための前段討論集会へ、ぜひ!

日時:2011年7月30日(土) 開始18:10

会場:ECOとしま(豊島区生活産業プラザ) 多目的 ホール(各線池袋東口下車徒歩7分)

■DVD上映:「靖国中毒」(予定)
■発言・問題提起(予定):
第38回許すな!靖国国営化8・15東京集会実行委員会/靖国解体企画/
「平和の灯を!ヤスクニの闇へ」キャンドル行動実行委員会/
アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会/8.15反「靖国」行動実行委、

主催:国家による「慰霊・追悼」を許すな!8・15反「靖国」行動


呼びかけ団体: アジア連帯講座、 国連・憲法問題研究会、 立川自衛隊監視テント村、 反天皇制運動連絡会、 「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会、 靖国・天皇制問題情報センター、 連帯社、 労働運動活動者評議会

2011年7月9日土曜日

★2011 8・15反「靖国」行動へのよびかけ

3月11日に発生した東日本大震災とその後の大津波は、多くの死者・行方不明者を出した。そして、それに続く東電の福島原発事故は、この社会が自明のものとして突き進んできた戦後の経済成長至上主義の帰結を、悲惨なかたちであらためて露出させた。
破壊された多くの人びとの生活は、一刻もはやく再建されなければならない。そのためには、全面的な補償と生活支援が必要なことは言うまでもない。被災者が生きてきた場所である被災地の復興が、切実な願いであることは確かである。だが、そこで復興されるべきものが、震災前のシステムへのそのままでの回帰であってよいはずがない。
天皇アキヒトは、今回の震災にあたって「ビデオメッセージ」をマスメディアを通して流し、関東の避難所を皮切りに、東北三県の被災地をまわって、被災者の「慰問」と死者の「鎮魂」をおこなってみせた。そしてそれを歓迎し、その姿に「感激」する地元の人たちの映像が、繰り返し流された。
政治家が現地を「慰問」しても、冷やかにしか迎えられないというのに、天皇・皇族がこのように歓迎され、あるいは、こぞって歓迎されているとしか報じられないのはなぜなのか。天皇は、憲法上、国家のひとつの機関にしかすぎない。しかし、それは現実の政治から超越し、非政治的で文化的な、そしてある種「高貴」な存在であるとまったく無根拠に信じられている。天皇家に最大限の敬語を使ってその行動を報じるマスメディアも、人びとの感覚をまた無意識のうちに組織していく。天皇の行為は、それが天皇の行為である限り、批判や疑問の声など始めから存在しないかのように扱われる。ただただ、ありがたく気高い「無私」の行為として賛美されるだけだ。
天皇のこうした行為は、しかし、そのようなものであることによって、現実の政治のひどさを隠蔽し、抽象的で漠とした「日本」なるものの共同性に、被災者をふたたび包摂・回収していく行為にしかなりえない。そのことによって、人びとの具体的な悲しみや怒りは心の深い部分に押し込められ、そして大文字の「日本」は、無傷のままで回復されるのだ。
この意味で、われわれは、8月15日の天皇の「おことば」なるものに注目せざるを得ない。
この日、毎年行われる「全国戦没者追悼式」において発せられる天皇の「おことば」は、一貫して「かつての戦争」の死者に思いを馳せ、彼らの「尊い犠牲」によって、現在の日本の「繁栄」が築かれたのだというロジックで貫かれてきた。もちろん、戦争の死者たちは、敗戦ののちの復興を念じて死んだはずがないのだから、こうした立論は欺瞞である。しかしそれだけではない。3・11以後の現実は、そうした戦後日本の「繁栄」なるものが、いかに現実の悲惨を覆い隠した砂上のものにすぎなかったかということを、露骨に示してしまった。すでに「戦後の繁栄」など、無条件に謳い上げることはできないのだ。そのとき、アキヒト天皇は、どのような新たなことばを発しうるのか。
「震災復興援助における自衛隊の活躍」が喧伝されている。天皇の被災地慰問において自衛隊機が使われていることも、もはや隠されることはない。天皇と自衛隊が、この「危機」にあってフルに稼働しているかのようだ。しかし、被災地に入った自衛隊員にも死者は出ている。さらに原発事故はいまだに継続しているのであり、それを収束させるためだけでも、さらに多くの人びとの生命を危険に晒さざるを得ない。 重層的下請け構造のもとで、原発関連の労働者の生命は序列化され、過酷な被曝労働に追いやられていく層は、今後も確実に増加していくだろう。原発事故は、「お国のための尊い犠牲」を要求せざるを得ないシステムなのだ。こうした、新たに生み出される「犠牲」をも、震災後の「復興」のための礎として、天皇は、顕彰することばを吐くことになるのか。
もちろん、その全てにほおかむりをし、過去の戦争の死は過去のこととして、現在と切断して語ることもできるだろう。しかし、そうであるなら、過去の戦争で死んだ彼らは、なんのための死者として称揚されることになるのだろうか。
しらじらしくも、天皇のことばが従前通りのものであったとしても、この夏に向けて死とその「意味づけ」をめぐる政治的な言説は大きく展開されていくはずである。われわれは、こうした新たに生じるであろう言論状況をも繰り込みつつ、国家による、あらゆる死に対する意味づけを核とした、8・15の「追悼空間」=全国戦没者追悼式と靖国思想――新しい国立の無宗教の追悼施設、あるいは千鳥ヶ淵拡充という方向性も含めて――の解体に向けた行動に、今年も取り組んでいきたい。実行委員会への多くの方々の参加と賛同、そして協働を強く訴える。

国家による「慰霊・追悼」を許すな!8・15反「靖国」行動



【呼びかけ団体】 アジア連帯講座、 国連・憲法問題研究会、 立川自衛隊監視テント村、  反天皇制運動連絡会、 「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会、  靖国・天皇制問題情報センター、 連帯社、 労働運動活動者評議会